これは遙か神話の時代の
『帝国千戦記』よりも何千年も後の話








     永久回路








「くそ!何だこの森は……」

俺はまるで無限に続いているかのような木々をすり抜け、弱った身体に鞭打って歩き続けた

「本当に、神か鬼がいそうだな」

一筋の光も差さない薄暗い森の中で俺はふもとの村で聞いた話を思い出していた




「へぇ、学者さんでぇ。都から離れたこの村までいったい何のようだい?」

俺、蘇芳啓一郎は『和の国』からこの帝国の山奥の村まで来ていた

「えぇ、古代文明の研究をしていましてねここの地方に興味深い伝説があると聞いて………」

そこまで言うと、今まで話していた老人はあからさまに顔をしかめた

「それで、あの山へ登ろうと思っていたところです」

俺はあくまでにこやかに、老人を刺激しないように話した
しかし老人は数回首を振ると、険しい視線を向けてきた

「あの山は止めておいたほうがええ、オラたちだって奥までなんて絶対に行けねぇ。鬼に斬り殺されちまうだ」
「鬼?斬り殺される?食べられるとかじゃなくて?」
「んだ、鬼は神を守っとる。うかつに手を出したら殺されるだ」

それだけ言うと老人はそそくさと歩いていってしまった

「鬼、ねぇ」

だが、今の言葉から確信が持てた
確かにこの山には『青い神』の伝説があるのだと



  一つ山を越えたなら
  二つの沢が見えてくる
  三本杉の横を抜け
  四つの岩を潜り抜け
  何時か見果てぬ夢の果て
  青い神が住む所

  六つ願いを言うたなら
  七色に光る虹を見る
  八つの言の葉耳にして
  九回言の葉唱えたら
  十回目には首が飛び
  黒い鬼に殺される

  誰もそこから帰らない



そうして一夜明け、俺は山へと登り始めた
始めのうちはなんの変哲もないただの林が続いていた
しかし奥に進めば進むほど、草木が異常に生い茂り、行く手を阻んだ
この土地特有の現象なのか、コンパスが利かず、ただ何時間も歩き続け、もう太陽がどこにあるのかわからなかった

「こんな森なら、鬼が出なくたって、そのうちくたばるよな」

これだけ森の中をさまよっていれば、森の意思が自分を迷わせているかのように感じてしまう
この森には、そう思わせる『何か』があった
それは神聖で犯しがたいようにも、禍々しく不吉なようにも感じられた
実際、何度もこの地方を開発しようとしてこの森一帯を切り開こうとした会社が何社かあったと聞いた
しかしどのプロジェクトもうまくいかなかった
なにせ、国家機関でさえ歯が立たなかったのだ

「だからこそこの山には絶対に何かがある、『帝国千戦記』の謎を解く何かが」





『帝国千戦記』





この国の始めとも言われているこの時代は
いまだ多くのなぞに包まれて、今ではほとんど神話化している

「それでも、『帝国千戦記』は必ずあった」

俺はそう信じている。



  優しい優しい神童様は
  敵の将の手に落ちて
  深い深い森の中
  死ぬまで共に生きました
  神童様は星となり
  空から皆を守ってる



『帝国千戦記』の手がかりでもある童歌を口ずさみながら辺りを見回す

「あれ?」

すると森の奥のほうで明るく光っているところがあった

「なんだ、あれ……」

この山奥で、そこからは唯一光が溢れていた
そこに行けば少しは今の状況が改善できるような気がした









そこは不思議な空間だった
その場所だけポッカと浮かび上がったかのように立派な屋敷が姿を現した

「なんだここは?」

まるで時間がタイムスリップしたような感覚に陥った

「見たことのない建築様式だ……」

そのたたたずまいは、自分の知っている建物とはまったく違うものだった

「でも、立派な屋敷だな。これだけ綺麗ならきっと誰か住んでいるよな?」

その姿に感心と不信感を抱きながら木で出来た扉をそっと押し開ける
すると急に頭の上でバサバサと鳥たちが飛び立つ音が聞こえた

「誰?」
「え?!っと、あの………」

声のしたほうに目線を向けると、そこには珍しい服を着込んだ少年がたっていた

「道に、迷って…まして…………」

言葉が、出なかった
彼の

儚さ

美しさ

勇ましさ

その



全てに



「君は、誰だい?」
「アンタこそ、誰なんだ」

彼の唇から流れ出る、楽の調のような声音に一瞬我を忘れる

「俺は、蘇芳啓一郎…」

とっさに名前を名乗ってしまったが、彼はそれで了承してくれたらしい

「スオ…発音しにくいな、聞いたことの名前だ」
「ああ、『和の国』から来たから。そのせいだと」

少年は少し考えるようなそぶりを見せた

「和の国?あぁ、倭国か……」
「倭国?」

自分の国の、それも遙か昔の呼び名で呼ばれて俺は少し困惑した

「おいおい、それはもう千年近くも前の呼び名だ」
「そうなのか?」

彼はまったく何も知らないのか、彼の表情からはその言葉が偽物でないことを語っていた
まるでまっさらな雪のような少年だと思った

「まっ、いいさ。あらかたの質問は終わったかな?今度は俺が君の事を尋ねてもいいかい」
「ああ、構わない」
「まず君の名前は?」
「名前?名前は…青樺」
「青樺?君も青樺と言うのかい?」
「そう、だけど」

自分の事を青樺といった少年は、不思議そうにこちらを伺っていた

「やっぱりこの地方では、青樺と言う名前はポピュラーなものなんだな」
「ぽ、ぴゅ?」

俺の言っていることにしっかりと首を傾げてしまった青樺に、俺は何と言っていいのかわからずに言葉を探す

「あっ、ポピュラーって言うのは…そうだな、一般的とかよく知られているって意味さ」
「ふーん、そうなんだ。そんなこと史鋭慶だって教えてくれなかった」
「シエイケイ?」

ふと彼が口走った名前が気になって、鸚鵡返しのようにたずねる

「史鋭慶はここの屋敷の持ち主で、史鋭慶と俺は、この屋敷で一緒に暮らしてるんだ」

暮らしている?
でも、なんでこの山奥に?
彼はいったい…

「君たちは……」
「スオウは、どうしてこんな山奥に来たんだ?」
「俺?」

不意打ち気味に青樺に問われて、自分が何のためにここに来たのかを話し始めた

「俺はこう見えても学者でね、『帝国千戦記』について調べているのさ」
「帝国、千戦記…」
「この世界の歴史が始まったとされる、数千年前の陳軍と青軍の戦い………!」
「………ッ!」

俺は背中に背負っていたリュックの中から、とある文献のコピーを取り出した
「ほら、ここ。この部分に『帝国千戦記』について書かれてある箇所がある」
青樺はそれに興味を持ったのか、コピーを覗き込んだ

「いいかい、ここにはこう書いてある」



  彼の名、陶青樺。悪の皇帝を討ち滅ぼさんと仲間を欲す
  神童の下に集まりし聖人たち、悪を滅ぼしこの帝国を建国す



「ほらな」
「本当だ…」

彼は眼をまん丸にしてかなり驚いているようだった

「他にもいろいろな文献があるんだけど、この古文の今読んだ一説が一番有名なところかな」

俺はクルクルとコピーの束をまいて

「学者の間では…この神童と呼ばれた青年は、後からこの話を盛り上げるために付け足された人物だと言う意見が一般的でね。
誰も本当の人物だと認めないんだよ。
確かに皇帝を倒す前までにしか彼は出てこないから、その話もわからないでもないんだ……」

俺が少し肩をすくめると、青樺は俺の正面に立ち、まっすぐ俺を見据えた

「他にも、沙烙神や元神が出てくるけど、彼らは後々の古文書まできちんと記されている…」
「ちょっとまってくれ、沙烙神に元神?それって、貴沙烙と孟元堅のこと?」
「あぁ、沙烙神は学問の神、元神は武道の神。陶青樺と並んでこの帝国の英雄さ」
「あっ、あの二人が?神様?」

青樺は、何がおかしいのかおなかを抱えて笑い出す
俺には青樺が笑い出した理由なんて、全くわからなくて
どこか自分の研究している事を馬鹿にされた気分になった

「なまじ、彼らが神様扱いされているから、ほとんどの人間にとって『帝国千戦記』はただの神話なのさ」

俺が投げやりに言うと、青樺は笑うのを止めて

「でも、あんたは『帝国千戦記』を信じているんだろ?」
「………ああ」
「なら、きっとその話は真実だと思う。俺も……そう思うから」




不思議な少年だと思う
その一言一言が
まるで救いのように俺の心に降り積もる




「青樺、君は…」

そう言って彼の頬に触れようとしたその瞬間

「青樺!」

屋敷のほうから、彼の名前を呼ぶ低い声が聞こえた
すると彼の顔は見る見るうちに笑顔に変わった

「史鋭慶…!」

人間は、はたしてあんな風に笑えるものなのかと
そう思った
慈しみ、愛しさ、嬉しさ、楽しさ
すべての感情を注ぎ込んだような
まぶしい笑顔だった
青樺は、史鋭慶と呼ばれた男の側まで走っていく
彼はまるでそうするのが当たり前とも言わんばかりに青樺の身体を抱き上げ、その腕の中にさらった

「……ッ!!」

一瞬にして生まれる疎外感
今ここにあるものすべてが、俺を拒絶しているような
そんな風にも捉えられる
それほど
この二人の存在は完璧だった
このふたりだけで完成された世界
他には何も
ナイ

「貴様、何時までそこに居るつもりだ」
「あっ……」
「史鋭慶…スオウは道に迷ったんだ。一晩くらいここで休ませてやってもいいんじゃないか?」

俺は青樺の言葉に助けられて、彼らの側に一歩近づく
どんなに彼らが俺を拒絶しようとも、今ここで放りだされてしまったら、俺は確実に生きるすべをなくしてしまう

「明日の朝まででいいんです、休む場所と食料を…与えてくれませんか?」

史鋭慶は一瞬眉をしかめたが、フッとため息をついて

「明日の早朝までだ、そしたら帰り道を教えてやる。ここから出て行け」

つまりは、今日一晩は泊めてくれるってことで

「よかったな」

青樺はその腕の中から飛び降りると、俺のほうに来て華のような笑顔で笑った

「………」

本当に綺麗な笑顔だった

「青樺」

その声にはっと眼を上げると、屋敷の中から史鋭慶がこちらを見ていた
無表情のその顔に、俺は一瞬殺されたかと思った



  鬼に会ったら眼を閉じて
  そっと心を隠しなさい
  悪の心を持った子は
  鬼の呪いがまっている
  善の心を持った子は
  神の祝福受けるだろう
  鬼に会ったら眼を閉じて
  必ず心を隠しなさい
  人の心はふしだらで
  鬼はそれを見るのです
  その奥底を、見るのです
























SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送